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東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)182号 判決 1973年3月05日

原告 勝利良潤ことブライアン・エー・ヴイクトリア

被告 法務大臣

訴訟代理人 宮北登 外八名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告

被告が原告の昭和四四年八月六日付在留期間更新許可申請に対し同年八月二三日付でなした不許可処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

(一)  原告は、一九三九年アメリカ合衆国ネブラスカ州に出生し、ネブラスカ・ウエスリアン大学在学中、良心的徴兵拒否者として兵役義務に就くことを拒否したが、そのみかえりの奉仕として、国外におけるキリスト教の宣教師たる活動を選択して、昭和三六年一〇月一日キリスト教伝道の目的で来日した。その後、原告は日本キリスト教団に所属し、青山学院大学で英語の教授をしながらキリスト教の布教活動をつづけたが、次第に禅に興味を持つようになり、禅寺で座禅の修業をつみ、昭和四〇年八月「得度」の儀式を行なつて剃髪し、勝利良潤と名のり、昭和四一年四月から一年間福井県の大本山永平寺において雲水の修行につとめた。

さらに、昭和四二年四月駒沢大学大学院仏教学科に入学し、宮本正尊教授の指導を受け、昭和四六年三月同課程を終了し、文学修士の学位を得た。その後も、仏教の研究を怠らず、断食、托鉢などの修業を続け、将来「立身」を遂げ、曹洞宗僧侶の資格を得ることを目ざして努力中である。

(二)  原告は、昭和三六年一〇月一一日日本に入国当時は、出入国管理令(以下単に令という。)四条一項一〇号の宗教活動を行うために派遣された者としての在留資格を有していたが、その後、仏教研究および大学院就学のため令四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号により、法務大臣が特に在留を認めるもの(いわゆる「四―一―一六―三」)としての在留資格に変更された。

在留期間は、従前一八〇日と定められており、例外なく更新許可を受けてきたが、昭和四四年三月二四日付原告の更新申請に対し、被告は同年五月一九日付でこれを九〇日に短縮した。

(三)  原告は、同年四月四日仏教の研究と米中両国の平和友好を促進するため中国に赴き、在留期間内に再び日本に入国することを目的として、被告に対し令二六条による再入国の許可申請をしたが、被告はこれを不許可とした。原告は、やむなく同年六月一二日予定どおり中国に向け日本を出国し、同月二七日頃中国領域より長崎港に戻つてきたが、福岡入国管理事務所長崎港出張所入国審査官は、原告の再入国を許可しないので、原告はやむなく在留目的については従前と同様仏教研究と大学院修学の必要を記載して入国(上陸)許可申請をなしたところ、被告は同年七月七日付で在留資格を従前と同様「四―一―一六―三」とし、在留期間を同日より九月五日までの六〇日間と定め、令一二条一項三号に基づき許可した。

(四)  原告は、従前どおり駒沢大学大学院における研究および僧侶としての修業を継続する必要があるため、昭和四四年八月六日付で被告に対し令二一条、同施行規則二〇条に従い在留期間の更新許可申請をしたが、被告はこれを不許可とし(以下本件不許可処分という。)、同月二三日付をもつてその旨を原告に通知した。

(五)  しかしながら、本件不許可処分は左記理由により違法であるからその取消を求める。

1 被告は、在留期間更新申請に対しこれを許可するか否かについて完全な自由裁量権を有するものではない。

一般に免許、許可等の処分に期限が付されている場合において、その期限の到来によつて当然に右処分が失効するものと解するのは妥当ではなく、当該免許、許可の目的、性質に照し、その付された期限が不相当に短期である場合には、その期限は処分権者において免許等を受けた者がその目的に沿い条件どおり行為しているかどうかを確認し、あるいは条件等の変更をする必要があるかどうかを考慮するための機会を与えた趣旨であると解すべきである。

本邦に入国する外国人は、一時的観光旅行者等は格別、通常の場合は本邦において生活の本拠を設け、種々の権利や自由を享有しうるに至るものであるから、入国の目的、在留資格等からある程度長期の滞在が予定され、客観的にもそれが認められる場合には、入国審査官が上陸の際決定した在留期間の到来によつて直ちに本邦における在留資格を失い、退去強制をうけるものとは解し難く、右利益を奪うには客観的な合理的事由の存在を要するものであり、期限の到来前に適法な更新申請がなされた場合、状況の著しい変化など客観的に明白な合理的事由がない限り被告はその更新申請を許可すべき義務がある。

2 原告は、日本への入国後昭和四四年三月末までは大学院において修士号取得のため研究を続け(昭和四六年三月二五日修士号取得)、その後も僧侶となるため仏教の研究、修業を継続しているものであり、得度後五年以内に首僧としての勤行を終了しなければ僧侶の資格もうけることができないのである。そして、この事情は原告が昭和四四年六月中国領域より戻つて入国許可申請をした当時にも少しも変つておらず、被告は右事情を知悉しながらあえて本件更新許可申請を不許可としたのは違法である。

二  被告の認否と主張

(二) 請求原因(一)項のうち、原告がその主張の日時にアメリカ合衆国ネブラスカ州において出生し、昭和三六年一〇月一日キリスト教布教の目的をもつて来日し、日本キリスト教団に所属する宣教師として青山学院大学で教師をしながらキリスト教の布教活動を続けたこと、日本名を勝利良潤と名乗り、永平寺において雲水の修行をし、昭和四二年四月駒沢大学大学院仏教学科に入学して昭和四六年三月同課程を終了し、文学修士の学位を得たことは認めるが、その余は不知。同(二)項は認める。同(三)項のうち、原告が中国へ渡航しようとした目的ならびに昭和四四年七月七日付の上陸特別許可の在留資格(四―一―一六―三)が、中国への渡航以前と同一であるとの点は争い、その余は認める。同(四)項は認め、同(五)項は争う。

(二) 被告の主張

1  本件不許可処分に至るまでの経緯

本件不許可処分に至るまでの経緯は、請求原因(二)ないし(四)項に記載のほか次のとおりである。

原告は、昭和四四年六月一二日長崎港から中国に向け出港したが、中国官憲に入国を拒否されて同月二四日長崎港に入港し、同月二五日入国目的を駒沢大学における勉学と仏教研究継続のためとして上陸許可申請をしたが、福岡入国管理事務所長崎港出張所入国審査官は、原告が有効な入国査証を所持しないところから令七条一項一号に規定する上陸のための条件に適合しないものと認め、同日同所特別審理官に引渡し、特別審理官が原告につき口頭審理を行つた結果、令の右規定に定める上陸条件に適合しないと認定し、その旨原告に通知したところ、原告は同月二六日被告に異議の申出を行ない、被告は同年七月二日付で異議申出は理由がないが、出国準備のためとして令一二条一項三号に基づき上陸特別許可(在留資格四―一―一六―三、在留期間六〇日)を与える旨の裁決をなし、同月七日入国審査官は原告の所持する旅券に右上陸特別許可の証印をした。同審査官は、その際、原告に対し本件上陸許可は出国準備のためであるからその許可期間内に必ず出国するよう口頭で告知した。

原告は、同年八月六日仏教研究と駒沢大学大学院での学習継続のためという理由で在学期間更新許可申請をしたが、被告は同月二一日前記上陸特別許可の経緯から右申請を不許可とし、同月二三日原告にその旨通知した。

2  原告の主張は、次に述べるとおりいずれも失当である。

(ア) 外国人の入国および在留の許否はもつぱら当該国家の自由裁量により決定しうるものであつて、特別の条約が存しない限り、国家は外国人の入国又は在留を許可する義務を負うものではないというのが国際慣習上認められた原則である。令二一条三項は、その規定の仕方からも明らかなように、外国人に対し在留期間延長を権利として認めたものではなく、法務大臣の自由裁量によつて恩恵的に在留期間の更新を許すことができる旨を定めたものと解すべきである。

(イ) 原告は、昭和四四年六月二五日長崎港において新たな入国手続として駒沢大学大学院での勉学と仏教研究の継続を入国目的とする上陸申請をしたが、その際、原告は有効な査証および令七条一項二号により要求される令四条一項六号該当者である旨の法務大臣の交付する証明書のいずれをも所持していなかつたから、原告は令七条一項の上陸のための条件に適合する者ではないと認められたけれども、被告は前記のとおり令一二条一項三号に基づき同年七月二日付で、出国準備のためとして特に恩恵的措置をもつて原告に対し上陸特別許可を与え、原告は同月七日その所持する旅券に右上陸特別許可の証印を受けたものであつて、同許可は決して原告の前記目的による上陸申請を認容してなされたものではない。

(ウ) 原告の再入国許可申請(昭和四四年四月四日付)不許可処分について

元来、令二六条の規定による再入国許可制度は、在留外国人のうちで本邦内に生活の本拠を有する者や特定の目的のために比較的長期間本邦に在留する者のために、それらの者が所要により一時本邦から出国する際には事前において再入国の可能性を確認しうる途を開き、再入国が認められないならば出国を断念して当初の目的どおり本邦に在留を継続するかあるいは再入国を断念しても出国するかを選択することができるようにしたものにほかならない。

その意味で再入国許可制度のねらいはむしろ入国についていわば事前審査をすることにある。そこで、再入国した者については、その在留資格および在留期間は従前と異らないものとして取扱うことにしているが、そのことから再入国許可を海外旅行の許可と同視すべきではない。したがつて、在留外国人がいつたん出国した以上、再入国に当つて令の適用を受けることは当然であつて、この点は、日本国民の帰国の場合と根本的に相違し、再入国を許可するかどうかは法務大臣の自由裁量に属することがらである。外国人の一時的な海外旅行が仮りに憲法二二条の保障を受けるとしても、外国人の入国の自由は、同条の保障する居住の自由ないし外国移住の自由に包含されるものではない。

被告が原告の前記再入国許可を不許可申請にしたのは、当時、中国はわが国が承認した国家ではなく、また、承認を前提とする修交関係も設定されていなかつたし、原告には親族訪問など人道上配慮を要する事情も存しなかつたことによるものである。

(エ) 原告は、昭和四四年六月一二日長崎港より中国領域に赴く意図をもつて入国審査官からその所持する旅券に出国の証印を受けて出国したことにより、原告がそれまで有していた本邦における在留資格とそれに伴う在留期間をすべて放棄してしまつたものである。

以上のとおり、原告に対する前記上陸特別許可は原告の出国準備のためであり、右許可による在留期間六〇日は出国準備のために十分な期間であつて、本件在留期間更新許可申請の理由として原告の主張するところは、令二一条三項の「更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるとき」に該当しないというべきであつて、被告の本件不許可処分には何らの違法もない。

三  被告の主張に対する原告の反論

(一)  被告は、在留期間の更新は入国許可の場合と同じく国家の完全な自由裁量に属すると主張するが、これは次の点からも正当ではない。

1 被告は、在留期間の延長(更新)を入国許可と全く同一に取扱おうとするが、入国許否に関する国家の裁量も完全な自由裁量ではない。たとえば、人種による入国の差別政策は裁量権の著しい濫用であつて、国際法上も許されないし、旅行者のごとく一時的な滞在予定者に対しては入国を拒みえないのである。仮りに、入国許否に関する国家の裁量権を認めるとしても、この場合と一旦入国を許したあとの在留期間の更新についての裁量権とを同一に論ずることはできない。外国人といえども、その生活の基礎を理由なく破壊されないという期待と利益を持つのであつて、この点において、未だこのような立場にない単なる入国の許否とは決定的に異なるものがあり、在留期間の更新については国家の裁量権は一定の制約に服するのである。

2 在留期間の更新が国家の全くの自由裁量に属するとの被告主張は、日本国憲法ならびに現時の国際法に照し到底是認できない。

(ア) わが国内に在留する外国人といえども、その性質の許す限り、憲法およびこれに基づく法の保護を受けるのは当然であり、人間としての尊厳と自由およびその生存を国家によつて自由に制限され、侵されることはない。裁判例も外国人が表現の自由、裁判を受ける権利ならびに外国旅行の自由等を保障される旨判示している。

憲法二二条一項の「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」との規定は、職業選択の点を除き、その性質上外国人と内国人とを差別して取扱う合理的理由もないから、外国人たる原告にも同条項の保障が与えられること明らかである。外国人がわが国内において長期にわたり勉学を続け、わが国に生活を樹立するに至つたときは、この生活を合理的理由なく破壊し、あるいはその基礎となる在留自体を合理的理由もなく打切ることは、憲法の右規定の趣旨から許されないものというべきである。

(イ) 外国人に対する国家の追放権の点から考察しても、国家は自由裁量によつて外国人を追放しうるのではなく、追放するには正当な理由がなければならない。交戦国は敵国民を追放することができるが、平時においてはその外国人の存在がその国の公序と安全に対し重要な脅威を与える場合などが右の正当な理由に当る。

(二)  本件再入国不許可処分の違法性について

原告は、駒沢大学大学院の修士論文の主題として「現代中国における仏教」を選択したところから、中国における文化大革命の仏教界に対する影響を研究する必要を感じ、併せて宗教家として米中両国の平和友好を訴える目的で、昭和四四年六月一〇日頃本邦を出国して中国に赴き、在留期間満了の日(同年八月一八日)以前に再入国する計画をたて、同年四月四日法務大臣に対し令二六条、同施行規則二四条に基づき再入国許可申請をしたが、同年五月一九日何らの理由も付さないまま右申請を不許可とする旨の通知を受けた。

令二六条一項にいう「再入国」とは、その実質においてわが国を生活の本拠とする外国人の一時的な海外旅行であつて、憲法二二条の保障する範囲に含まれるものと解すべきである。

原告は、昭和三六年来日以来、刑罰などを受けることなく、平穏に生活してきたもので、再入国後も後前どおり仏教研究と修行を続けるつもりであり、その客観的条件も存在していた。原告は、これまでも平和友好活動の一環として、ヴエトナム、カンボジア、沖繩等に渡航したが、いずれの場合にも再入国の許可を得ており、中国への渡航目的も、前記のとおり、その動機は国際協調主義、平和主義を基調とし、学問の自由を保障する憲法の精神にも合致するものであるから、右渡航が日本の国益に反するものとは考えられない。

当時、中国は日本政府の承認を受けてはいなかつたが、そのこと自体憲法二二条の保障する海外旅行の自由を制限する理由とはなりえないし、現に同国への幾多の旅行者が再入国を認められている。

以上のとおり、被告の右再入国不許可処分は、憲法によつて保障された原告の海外旅行の自由を不当に制限する違憲、違法のものである。

(三)  原告の仏教の研究と修業は、中国への出発ならびに帰来の前後によつて変らず、また、中国渡航の目的もこの趣旨に沿うものであつた。したがつて、原告の在留資格は中国渡航の前後を通じて継続した同一のものとみるべきである。

(四)  原告が中国領域から帰来した後、上陸特別許可が与えられるに至つた経緯は以下のとおりである。すなわち、原告は昭和四四年七月二日頃長崎港において入国審査官より在留期間を六〇日間とする上陸特別許可が与えられた旨の告知を受けたが、原告としては少くとも昭和四五年夏頃まで日本において仏教の研究および修業を継続する必要があつたので、右期間の点に異議を申出て入国の証印を拒否した。そして、原告は代理人大野正男弁護士に連絡し、上陸特別許可の六〇日間という意味が期限後には必ず退去しなければならないものか否かを確かめるため、法務省入国管理局審判課に問合せたところ、同係官より在留期間を六〇日と定めた趣旨は、二か月の経過により必ず退去することを要する趣旨ではなく、更新申請があれば考慮する、また、「出国準備のため」というのは在留許可の条件ではなく、当局側の事実上の希望に過ぎない旨の返答を得たので、原告としては安心して入国の証印を受けたのである。

右上陸許可書に「出国準備のため」であることを表わす何らの記載もないことは、これが在留許可の条件とされていない証左である。

仮りに、被告主張のごとく「出国準備のため」を上陸許可の条件とする意思であれば、このように当事者間で問題とされ、かつ、原告にとり重大な不利益をもたらす条件は行政行為の付款として当然上陸特別許可証印に明示すべきである。したがつて、これが明示を欠く以上、行政行為の要式性からもこれを上陸許可の目的又は条件とすることは許されない。それは、せいぜい行政庁内部の事実上の希望に過ぎないのである。

第三証拠<省略>

理由

一  原告は、その主張の日時にアメリカ合衆国ネブラスカ州において出生し、昭和三六年一〇月一日キリスト教布教の目的をもつて来日し、日本キリスト教団所属の宣教師として青山学院大学で教師をしながら布教活動に従事していたが、その後、仏教に興味を持ち、日本名を勝利良潤と名乗り、仏教の研究と修行につとめ、昭和四二年四月駒沢大学大学院仏教学科に入学し、昭和四六年三月同課程を修了し、文学修士の学位を得たものであること、ならびに、原告が昭和四四年八月六日付で被告に対し令二一条二項による在留期間更新の申請をしたところ、被告がこれを不許可とし、同月二三日付をもつて原告に通知したことは当事者間に争いがない。

二  そこで、本件不許可処分につき原告主張の違法事由が存するかどうかについて判断する。

(一)  本件不許可処分に至る経過は、次のとおりである。

原告は、当初、前記のごとくキリスト教宣教師として来日し、在留資格は令四条一項一〇号(宗教活動を行うため本邦に派遣されたもの)該当者として認められていたが、その後、僧侶を志すようになり、在留資格も仏教研究および大学院勉学のためとして令四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号により法務大臣の特に在留を認める者(四―一―一六―三)に変更され、その後数次の在留期間の更新を重ねた。原告は、昭和四四年四月四日中国への渡航を意図し、令二六条による再入国許可申請をしたところ、被告によりこれを不許可とされたので、同年六月一二日そのまま中国に向け長崎港より出国したが、中国への入国が認められなかつたため、同月二七日長崎港に戻り、同年七月七日付で在留資格を「四―一―一六―三」とし、在留期間を六〇日と定めて令一二条一項三号により上陸を許可された。以上の事実は、当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない乙第二号証、第六号証の一、二、証人湊屋芳秋、同畑野勇、同大野正男の各証言、右畑野証人の証言によつて成立を認めうる乙第六号証の三ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められ、他に同認定を動かしうる証拠はない。

原告の前記中国への渡航は、原告が駒沢大学大学院における修士論文の主題に「現代中国における仏教」というテーマを選択していたこともあつて、文化大革命の中国仏教におよぼした影響を研究し、併せて米中両国の友好親善をはかる目的をもつて、レイノルズ博士らと共にヨツトのフヱニツクス号に乗り、長崎港より中国を訪れ、在留期間内に日本に帰る計画を実行するためであつた。原告は、昭和四四年六月二四日前示のとおりの事情で長崎港に戻り、同月二五日従前どおり駒沢大学における勉学と仏教研究を継続することを上陸目的として、上陸許可申請をしたが、原告が有効な入国査証を所持していなかつたため、福岡入国管理事務所長崎港出張所入国審査官は、原告を令七条一項一号による上陸の条件適合者ではないと認め、同日特別審理官に引渡し、特別審理官も口頭審理の結果同じ結論であつたため原告の上陸を許可しなかつた。ところが、原告より異議の申出があり、被告は、同年七月二日右異議申出は理由がないものと認めたが、出国準備のため、在留資格を「四―一―一六―三」、在留期間を六〇日と定めて令一二条一項三号による上陸特別許可を与える旨の裁決をなし、同裁決の内容は、同月三日長崎の特別審理官を通じて口頭により原告に告知されたが、その際、右上陸特別許可は出国準備のためのものであること、したがつて、その期間内に必らず出国準備をして帰国すべきことが示達された。

原告は、右上陸特別許可に対し、在留期間が六〇日では自分の学業も中途で挫折してしまうという不安を覚え、当局係官に対し、右期間は更新することが許されるのか、あるいはその期間内に絶対的に帰国しなければならないのかを質問し、これが明確になるまで前記上陸許可の証印を受けることを拒否し、その間に長崎在住の横山茂樹弁護士や東京の大野正男弁護士に右事項の調査を依頼したところ、大野弁護士は法務省入国管理局審判課に電話で照会した結果、期間の更新は可能であるとの返答を得たので、その旨を原告に伝えた。そこで、原告は同月七日右上陸特別許可の証印を受けて本邦に上陸した。

(二)  そもそも、在留期間更新の請求を許可するか否かにつき、令二一条三項は、被告に広範な自由裁量権を認めているものと解すべきところ、本件不許可処分に至るまでの経緯は前記認定のとおりであつて、原告が中国領域より入国するに当り昭和四四年七月二日付でなされた上陸特別許可は出国準備のためとしてなされたものであり、かつ、右の在留期間六〇日は出国準備のためには十分な期間であると認められる。

してみれば、被告の本件不許可処分は、その自由裁量権の範囲内でなされた適法なものというべきである。

もつとも、右上陸許可の証印の際、原告の旅券に「出国の準備のため」という事項が記入されなかつたことは、原告主張のとおりであるが、これは法令により必要的記載事項と定められているものでもなく、前記のとおり、原告に対しては現地入国管理事務所係官より口頭で明示された事柄でもある。また、証人大野正男、同鶴見良行の各証言および原告本人尋問の結果の各一部には、大野弁護士が法務省入国管理局係官に照会した際、「出国準備のため」というのは、在留許可の条件ではなく、期間更新も可能であるとの返答を得たこと、その返答があつたから原告は上陸許可の証印に応じた旨の供述部分があるけれども、前示乙第六号証の一ないし三、証人畑野勇の証言ならびに同証言によつて成立を認めうる乙第七号証によると、右係官の返答は、具体的に原告の本件在留期間の更新が可能であると述べたものではなく、一般論として在留期間の更新が可能である趣旨(令二一条三項)を述べたものと認めるのが相当であるから、右は前記結論を左右するものではない。

また、原告は、令二六条一項にいう「再入国」とはその実質においてわが国に生活の本拠を有する外国人の場合、一時的な海外旅行であつて、その自由は憲法二二条により保障されているので、被告の前記再入国不許可処分は違憲、違法なものであり、原告の在留資格や在留期間は中国への出国の前後を通じて同一に取扱われるべきであると主張する。しかし、たとえ外国人にも海外旅行の自由がわが憲法上保障されているとしても、原告の右出国が実質上海外旅行の範囲に止まるものであるかどうかはにわかに断定し難いところであるが、仮りにこの点をしばらく措くとして、原告の本邦在留の実状をみるに、少くとも現段階(本件口頭弁論終結時)においては、原告が在留目的としていた駒沢大学大学院の勉学も、昭和四六年三月その課程を修了し、仏教の研究も一応の成果を挙げたものというべきであるから、以上の点を考慮してもこれによる本件不許可処分の違法は治癒されたものということができる。

他に、被告が原告に対する本件不許可処分についてその自由裁量権を濫用し、または、その権限の行使を違法とするような事実も認められない。

三  叙上の次第で、その余の原告主張について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由のないことが明らかであるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 牧山市治 上田豊三)

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